日本最初の学校給食って?

世界の学校

明治に始まった給食は子どもたちのためにつくられた寺の学校がルーツだった。 山形県鶴岡市の大督寺。ここには「学校給食発祥の地」の碑が建っている。 明治22年(1989年)に学校へ通えない貧しい子どもたちのために、様々な宗派の住職が協力して「忠愛学校」を建てた。 それを先導したのが佐藤霊山。鶴岡市に生まれ、浄土宗・常念寺の住職として、そして宗教家としてこの地の為に尽くした人間だった。

給食のはじまり

この忠愛学校では、満足に食べる事が出来ない子どもがいたために、なんとかできないか、と思い、寺の住職らが托鉢や有志からの寄付で集めたもので、日本最初の学校給食がつくられた。 出典:庄内日報 http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp176.html
日本で最初の給食(画像:財団法人スポーツ振興センター)

日本で最初の給食(画像:財団法人スポーツ振興センター)

  本当に質素なものであったが、育ち盛りの子どもに栄養を、という想いの詰まったもの。 にぎりめし、塩鮭、菜の漬け物。たったそれだけだが、炭水化物、タンパク質、塩分と、たとえ一日一食だったとしても成長していくために必要な栄養素が含まれている。 この忠愛学校では貧しい家庭の児童救済のために学用品等も支給したそうだ。また、佐藤霊山は法事などでもらったまんじゅうを懐にいれて、子どもたちに与えていたそうで、いかに子どものこと、困った人たちのことを考えていたのかを示すエピソードとなっている。 その後、国が貧困の子どもたちのために給食を行なう様に法を定めたのが、1932(昭和7)年。「学校給食実施の趣旨徹底方並びに学校給食臨時施設方法」の公布によるものだった。 この頃までは貧しい子どもたちのために給食があったと言う事だ。

このページをシェアする

関連記事